抜き書き_SF小説

「人間の眼がこの光景を眺めたことはかつて一度もない」
 闇の中からカレルレンの声が響いた。
「あなたがたは、自分の宇宙、つまり、あなたがたの太陽がその一員である、銀河系と呼ばれる島宇宙を見ているのだ──五十万光年の彼方から」
 長い沈黙があった。やがてカレルレンはふたたび言葉を続けたが、その音声には、憐れみとも嘲りともつかない何かがこめられていた。

(「あなたがたの種族は、あなたがた自身の、どちらかといえば小さい惑星の問題を処理することにすら、驚くほどの無能ぶりをしめした。われわれがやってきたとき、あなたがた人間は、科学がほんのわずか性急にあなたがたに与えた力のために、みずから絶滅への道を辿ろうとしていた。われわれが干渉しなかったら、いまごろ地球は放射能まみれの砂漠と化していたろう。
 さて、あなたがたはいま平和な世界に住み、一つのまとまった種族となった。間もなくあなたがたは、われわれの助けがなくとも充分この惑星を運営していけるだけの力を持つだろう。さらに進んで、いずれはこの太陽系全体──五十個余りの衛星や惑星の管理もできるようになるかもしれない。しかし、諸君は、これに太刀打ちできると本気で思うか?」
 渦巻きが広がった。と、渦巻きを形成する個々の星々が、溶鉱炉の火花のように激しく明滅しながら、すさまじい勢いで後方へ流れはじめた。そのはかない火花の一つ一つが、それぞれ何個かの天体を率いる太陽なのだ……。)

「われわれのこの銀河系には」とカレルレンはほとんど囁くような声でいった。
「八百七十億個の恒星がある。だが、この数字ですら、宇宙の無限の広がりを説明するには不充分なのだ。この宇宙に挑戦しようとするあなたがたは、世界中の砂漠の砂の一粒一粒をよりわけ、分類しようとする蟻とおなじようなものだといってさしつかえあるまい。あなたがた地球の種族は、現在の進歩の段階では、とてもこの底知れぬ挑戦を受けとめることはできない。わたしの任務の一つは、こういった星々のあいだに横たわる力──あなたがたのとうてい想像もおよばないような力から、あなたがたを守ることにあるのだ」
 銀河系宇宙の渦まく火のもやが消え、死のような静寂があたりを支配するうちに、ふたたび照明がともされた。

 カレルレンはすでに立ち去りかけていた。会見は終わったのだ。戸口で、彼はふと歩みを止め、静まりかえった人々のほうをふりむいた。「これはつらいことかもしれないが、しかしあなたがたはそれに直面せねばならない。惑星はいずれはあなたがたのものになるだろう。だが、恒星は決して人類のものにはならないのだ。
アーサー・C・クラーク (著), 福島正実 (訳)『幼年期の終り』 早川書房, 2012, p.127